研究内容
研究プロジェクト名および概要
Ⅰ. 老化および加齢関連疾患(生活習慣病、がん)発症の分子基盤解明
ヒトの体を構成する細胞は、肥満や生活習慣の乱れによって生じるストレスに応答し、様々な因子を産生・分泌し、生体を構成する組織の恒常性の維持に機能する。しかしそのストレスが過度になると細胞も過剰応答となり、組織に非可逆的な変化をもたらし様々な生活習慣病やがんの発症につながることが解明されてきている。一方、個体の老化に伴い、構成する個々の細胞も細胞老化(Cellular Senescence)し、増殖因子やサイトカインを産生・分泌するようになる表現型(SASP: Senescence-associated secretory phenotype)を示し、これら分泌された因子の作用が、個体の加齢性変化、さらには加齢関連疾患の発症促進につながることが解明されてきている。代表的生活習慣病の一つである肥満症(肥満+関連代謝異常)の場合、肥大した脂肪組織には老化細胞が存在しており(Nat Med 2009)、今や生活習慣病は生活習慣による人為的な早老症と考えられている。以上より我々は、生活習慣病発症、老化、加齢関連疾患発症に共通する基盤病態 “慢性炎症”の分子基盤を解明することは、生活習慣の乱れや老化に伴い発症する生活習慣病やがんの発症・進展の解明と新しい診断・治療・予防法の開発に必須であると考えている。本プロジェクトにおいては、我々が同定したANGPTL ファミリー分子の一つであるANGPTL2のSASP因子としての機能に着目し、老化および加齢関連疾患の分子病態基盤を解明し、健康長寿延伸につながる治療法の開発を目指す。
-成果・実績-
ANGPTL2が、生体の恒常性維持に重要な役割を担っていること(PNAS 2005, Am J Physiol Lung Cell Mol Physiol 2016, EMBO J 2017, Osteoarthritis Cartilage 2018)、一方、その過剰機能により、組織において“慢性炎症”が誘導され、肥満・代謝異常症(Cell Metab 2009)や動脈硬化性疾患(ATVB 2012, 2014(掲載号表紙), JMCC 2013)の発症や進展に関わることを見出した(Trend Endocrinol Metab 2014)。腎においては、TGF-βとの相互作用により“慢性炎症” “線維化” が誘導され、慢性腎臓病の発症や進展に関わることを見出した(Kidney Int 2016(掲載号表紙))。また、加齢に伴い筋細胞からのANGPTL2産生・分泌が増加し、筋組織において炎症、酸化ストレスが惹起され、サルコペニアを促進することを報告した(J Biol Chem 2018)。さらに、正常組織におけるANGPTL2の持続的高発現が慢性炎症を誘導し、発がんの感受性を高めること(Cancer Res 2011(掲載号表紙), Mol Cancer Res 2014)、がん細胞から分泌されたANGPTL2が、がん細胞周囲の微小環境に対して、血管・リンパ管新生や炎症・免疫細胞の集積を促進させる一方、がん細胞自身へも直接作用し、がん細胞の走化性及び浸潤能を活性化させることにより、がん細胞の転移・浸潤を促進させる重要な役割を果たしていることを見出した(Cancer Res 2012(掲載号表紙), Sci Signal 2014(Podcastに採用))。
がん組織内に存在する間質細胞のうち、一部の線維芽細胞がANGPTL2を分泌しており、線維芽細胞由来ANGPTL2が樹状細胞の活性化や炎症性マクロファージの分化を促進することで、腫瘍免疫応答を活性化し、がん抑制に作用すること(Genes Dev 2019, Oncogene 2021)、さらに、免疫チェックポイント阻害剤によるがん免疫治療効果を線維芽細胞由来ANGPTL2が促進することを明らかにした(Cancer Gene Therapy 2024)。一方で、がん細胞由来ANGPTL2が、エピゲノム制御を介してがん細胞におけるMHCクラスIの発現を抑制することで、がん免疫逃避に寄与する(Mol Oncol 2023)ことや、脂肪組織由来のANGPTL2が免疫抑制性の骨髄由来細胞(MDSC)を誘導し、がん微小環境における抗腫瘍免疫を抑制することで、チェックポイント阻害剤を用いたがん免疫治療に対する抵抗性をもたらすことを解明した(Cancer Sci 2024)。また、近年、チェックポイント阻害剤を用いたがん免疫治療を受けた患者において、免疫関連有害事象と呼ばれる自己免疫疾患様の症状が様々な臓器で出現することが問題となっているが、我々は、ANGPTL2が心臓の筋線維芽細胞におけるケモカインの発現を誘導することで、T細胞浸潤を促進し,免疫チェックポイント阻害剤による心筋炎の増悪に寄与していることを解明した(Commun Biol 2023)。
Ⅱ. ミトコンドリア恒常性維持と細胞・臓器・個体老化の連関解明
ミトコンドリアは、細胞エネルギー代謝の中枢として、細胞機能に必須のATPを産生するオルガネラである。近年の研究から、ミトコンドリアは、他のオルガネラと相互作用や免疫応答の足場となることにより、細胞に対して多面的な機能を持つことが明らかになっている。それ故、ミトコンドリアの機能不全は、細胞の機能低下に直結する。さらに、ミトコンドリア由来の活性酸素種(ROS)増加で生じる臓器の機能破綻に繋がるため、生体にとってミトコンドリアの恒常性維持は非常に重要である。我々自身も圧負荷心不全マウスモデルにおいて、心不全(HFrEF)の発症・進展の促進にミトコンドリア機能低下→ROS増加→DNA損傷→DNA損傷応答(DDR)活性化→炎症が寄与しており、ミトコンドリア恒常性維持やミトコンドリア機能低下により活性化する経路への介入が心不全(HFrEF)の治療戦略につながることを確認している(Nat Commun 2016)。
さらに心臓老化研究において、高齢マウスの心臓では、心収縮機能低下、心拡張機能低下、心筋細胞肥大、心組織線維化などが出現し、運動耐容能が低下すること、若齢時に比べミトコンドリアの量の減少や呼吸機能低下、クリステ形成不全が起こることを明らかにした(Mol Metab 2025)。ミトコンドリア量減少の分子機構として、心不全の発症メカニズムとして注目されている心筋細胞におけるDNA損傷応答活性化に関わるHINT1の発現が加齢とともに増加し、ミトコンドリア生合成に重要なTFAMのエピジェネティックな発現制御機構を阻害することを解明した(Mol Metab 2025)。また、種を超えて寿命延伸効果が認められるカロリー制限飼育を行った高齢マウスでは、心臓の老化表現型が軽減され、ミトコンドリア量の減少、HINT1発現増加およびTFAM発現低下が抑制されていた。以前、我々は心臓に豊富に発現する長鎖ノンコーディングRNAとして、cardiomyocyte-enriched noncoding transcript (Caren)を同定し、Carenが心機能維持に重要な役割を果たし、心不全病態形成に対して拮抗的に作用していることを明らかにした(Nat Commun 2021)。Carenによる心保護の作用機序の1つとして、CarenがHINT1の翻訳を抑制することを解明しており、Carenの発現が加齢に伴い減少すること、カロリー制限飼育によりその発現減少が抑制されることも明らかとなった(Mol Metab 2025)。以上より、加齢に伴うHINT1の発現増加の抑制、もしくはCaren高発現維持がCRによる心臓老化抑制に代わる介入戦略となりうるか検討し、高齢マウスの心筋細胞においてCaren高発現→HINT1発現増加抑制→ミトコンドリア生合成活性化が、心臓の老化表現型が軽減し、運動耐容能も向上することを確認した。これらの検討により、心臓老化に対する介入戦略としてミトコンドリア生合成活性化が有用であることが示唆された(Mol Metab 2025)。
本プロジェクトでは、加齢に伴うミトコンドリア恒常性維持機構の変容による臓器老化機構を解明するとともに、その機構解明に立脚した最適介入戦略の創出を目指す。
Ⅲ. 生体の恒常性維持とその破綻による疾患発症分子機構解明
我々の生体は、外界からの環境要因の変化に対して、生体の恒常性を維持する機構が備わっているが、その変容•破綻が生活習慣病など様々な疾患の発症に寄与することが解明されてきている。ANGPTLファミリー因子が、中枢での摂食調節の制御、脂質及びエネルギー代謝調節機構に重要であり、臓器間ネットワークを介して代謝恒常性維持機構に深く関わっている(Trend Mol Med 2005)。AGF/Angptl6シグナルは、細胞の遊走や増殖制御に関わり、創傷治癒に重要な役割を果たすこと(PNAS 2003)、糖・エネルギー代謝における恒常性維持機構の破綻に対して、内因応答性の拮抗作用として抗肥満作用や耐糖能促進作用を示し代謝恒常性維持機構の一躍を担っていること(Nat Med 2005)を見出した。この発見から20年以上経ってしまったが、AGF/Angptl6の恒常性維持機構の詳細解明を粘り強く継続しており、最近ようやくその一端が見えてきている(論文準備中)。
2007年以降、海外の他グループからNEJM 誌にAngptl3の機能消失型遺伝子変異が、血清脂質値低下、生涯に渡たる心血管病発症の低リスク状態をもたらすことが複数報告されて以降、ANGPTL3を標的とした抗体薬、ASO薬(アンチセンスオリゴ)、SiRNA薬が脂質異常症治療に有用である報告がNEJM 誌に多数報告されている。抗体薬はすでに家族性高脂血症(FH)患者を対象に実臨床において使用され期待以上の効果が示されている。我々は抗ANGPTL3抗体を体内で産生させることを目的にANGPTL3を標的としたワクチン薬の開発を進めており、脂質異常症モデルマウスを対象に脂質代謝の改善や動脈硬化軽減に有用であることを明らかにし(Cell Rep Med 2021, npj Vaccines 2023)、臨床応用に向けた研究開発を進めている。
鉄は生体内の多くの酸化還元反応を触媒し、地球上のほとんどの生物にとって広範な生命機能に必須の役割を担う一方、鉄による脂質の過酸化が惹起する新しい細胞死「フェロトーシス」が見出され、鉄による細胞傷害が注目されている。我々は、細胞内の遊離鉄を増減できる遺伝子改変マウスを用いた心病態の解析により、鉄代謝が心筋細胞におけるミトコンドリア代謝の制御に関わること、さらに心機能の制御に関わることを見出し(論文準備中)、現在その分子機構解明を進めている。
本プロジェクトでは、生体の恒常性維持、特にエネルギー代謝制御機構、脂質代謝制御機構、創傷治癒機構とその破綻による関連疾患の発症・進展の分子メカニズム解明を目指す。
Ⅳ. 血中ANGPTL濃度と生理・病態との連関解析
ANGPTLファミリーに属する因子は、血中へ分泌されるタンパク質であり、その血中濃度と様々な生理•病態との連関解析を行ってきた。特に血中ANGPTL2濃度が、肥満、炎症、加齢、腎機能障害、心機能低下の程度、透析患者における死亡リスク、高齢者における死亡リスク(Cell Metab 2009, ATVB 2014, Circ J 2013, 2017, Nephrol Dial Transplant 2019, J Gerontol A Biol Sci Med Sci 2022)と相関すること、血中ANGPTL2濃度が、将来の新規糖尿病、動脈硬化性疾患発症と連関すること(Diabetes Care 2013, ATVB 2016)、また、生活習慣への介入により血中ANGPTL2濃度を低下できること(Nutr Diab 2011)を解明した。さらに最近、血中ANGPTL8濃度が、脂質異常症治療薬によるコレステロール低下治療を受けた日本人の冠動脈疾患患者における心血管イベント再発リスクと相関することを解明した(ATVB 2023)。本プロジェクトでは、現在進行中の複数の疫学コホート研究との共同研究による長期にわたる追跡研究と連関させ、血中ANGPTL濃度の生理・病態における意義解明に挑む。
研究室内表彰
2024年度
- 最優秀論文賞 堀口 晴紀
「The two faces of Angiopoietin-like protein 2 in cancer」
Cancer Sci 116(3): 592-599, 2025 - 論文賞
湯本 信成、堀野 大智
2023年度
- 最優秀論文賞 森永 潤
「Plasma ANGPTL8 levels and risk for secondary cardiovascular events in Japanese patients with stable coronary artery disease receiving statin therapy.」
Arterioscler Thromb Vasc Biol 43(8): 1549-1559, 2023 - 論文賞
門松 毅、原 千瑛、堀口 晴紀、深水大天
2022年度
- 最優秀論文賞 堀口 晴紀
「Tumor cell-derived ANGPTL2 promotes β-catenin-driven intestinal tumorigenesis.」
Oncogene 41(33): 4028-4041, 2022 - 論文賞
岡留 由祐
2021年度
- 最優秀論文賞 佐藤 迪夫
「The lncRNA Caren antagonizes heart failure by inactivating DNA damage response and activating mitochondrial biogenesis.」
Nat Comun 12(1): 2529, 2021 - 最優秀論文賞 深水 大天
「Vaccine targeting ANGPTL3 ameliorates dyslipidemia and associated diseases in mouse models of obese dyslipidemia and familial hypercholesterolemia.」
Cell Rep Med 2(11): 100446, 2021 - 論文賞
岡留 由祐
2020年度
- 最優秀論文賞 堀口 晴紀
「Stroma-derived ANGPTL2 establishes an anti-tumor microenvironment during intestinal tumorigenesis.」
Oncogene 40: 55-67, 2021 - 論文賞
深水 大天、大隅 祥暢 - 特別功労賞(JST START研究終了及び大学院生への指導)
森永 潤
2019年度
- 最優秀論文賞 堀口 晴紀
「Dual functions of angiopoietin-like protein 2 signaling in tumor progression and anti-tumor immunity.」
Genes Dev 33:1641-1656, 2019 - 論文賞
朱 順順、森永 潤、倉橋 竜磨
2018年度
- 最優秀論文賞 伊藤 仁
「TET2-dependent IL-6 induction mediated by the tumor microenvironment promotes tumor metastasis in osteosarcoma.」
Oncogene 37:2903-2920, 2018 - 論文賞
森永 潤、佐藤 迪夫、遠藤 元誉
2017年度
- 論文賞
杉崎 太一、田上 裕教、田 哲、趙 加斌、朱 順順 - 特別功労賞(JST START 研究費獲得)
森永 潤
2016年度
- 最優秀論文賞 田 哲
「ANGPTL2 activity in cardiac pathologies accelerates heart failure by perturbing cardiac function and energy metabolism.」
Nat Commun 7:13016, 2016 - 優秀論文賞
堀口 晴紀 - 論文賞
本川 郁代、天達 俊博、谷川 広紀、湯上 正樹
2015年度
- 最優秀論文賞 森永 潤
「ANGPTL2 increases renal fibrosis by accelerating TGF-β signaling in chronic kidney disease.」
Kidney Int 89:327-341, 2016 - 論文賞
舛田 哲朗
2014年度
- 最優秀論文賞 堀尾 英治
「Role of endothelial cell-derived angptl2 in vascular inflammation leading to endothelial dysfunction and atherosclerosis progression.」
Arterioscler Thromb Vasc Biol 34:790-800, 2014 - 論文賞
堀口 晴紀、西村 尚剛 - 特別賞
多武 清加
2013年度
- 最優秀論文賞 小田切 陽樹、門松 毅
「Secreted Protein ANGPTL2 Promotes Metastasis of Osteosarcoma Cells Through Integrin α5β1, p38 MAPK, and Matrix Metalloproteinases.」
Sci Signal 7:ra7, 2014 - 論文賞
遠藤 元誉、門松 毅、田 哲、中村 孝幸 - ナイスアシスト賞
宮田 敬士
2012年度
- 最優秀論文賞 遠藤 元誉、中野 正啓、門松 毅
「Tumor cell-derived angiopoietin-like protein ANGPTL2 is a critical driver of metastasis.」
Cancer Res 72: 1784-1794, 2012 - 論文賞
緒方 亜紀、田爪 宏和 - 特別賞
犬童 康子
2011年度
- 最優秀論文賞 青井 淳
「Angiopoietin-like Protein 2 is an Important Facilitator of Inflammatory Carcinogenesis and Metastasis.」
Cancer Res 71: 7502-7512, 2011 - 論文賞
岡田 龍哉、田 哲 - ナイスアシスト賞
遠藤 元誉、矢野 正人、宮田 敬士
2010年度
- 最優秀論文賞 矢野 正人
「Mitochondrial dysfunction and increased reactive oxygen species impair insulin secretion in sphingomyelin synthase 1 null mice.」
J Biol Chem 286: 3992-4002, 2011 - 優秀論文賞
寺田 和豊、束野 寛人、岡田 龍哉、門松 毅、後藤 知己
2009年度
- 最優秀論文賞 田畑 光久
「Angiopoietin-like protein 2 promotes chronic adipose tissue inflammation formation and obesity-related systemic insulin resistance.」
Cell Metab 10:178-188, 2009 - ナイスアシスト賞
宮田 敬士、門松 毅、束野 寛人、田爪 宏和